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もっとよく知ろう!TPPと原発

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知っている人も知らない人も、もう一度改めて詳しくみてみよう。
TPPや原発に反対する人も賛成する人も、政治家もそうでない人も、意見を言おうとする人はまず十分に理解し、人に説明できる根拠を持ってから意見を言おう。
そうでなければ、人からはバカにされるだけ。


サルでもわかるTPP
http://project99.jp/?page_id=75
サルでもわかるTPPがヤバい7つの理由


そもそも総研・そもそも脱原発はこれでおわるのだろうか?その1


そもそも総研・そもそも脱原発はこれでおわるのだろうか?・その2


12月31日 MBS「報道するラジオ: 小出裕章氏インタビュー : PENELOG...
安倍首相、原発新設に含み「 福島と全然違うもの」

penelopes.exblog.jp/19778244


http://www.geocities.jp/out_masuyama/dokusyo26.htm
『原発のウソ』小出裕章(こいで・ひろあき)、扶桑社新書、2011年6月1日発行。
著者は1949年生まれ、現在京都大学原子炉実験所助教。
(2011年)3月11日の東日本大震災と福島第一原発事故以降、原発の危険性を発言し続けている学者、元原発の設計に携わった人たちに、後藤政志、田中三彦、小出裕章の3氏がおり、2000年に62歳で亡くなった高木仁三郎氏と共に、今後の日本のあるべき姿を考えるうえで、耳を傾けていくべき人たちであります。

『原発はなぜ危険か・元設計技師の証言』(田中三彦、岩波新書、1990年発行)を読んで。
http://www.geocities.jp/out_masuyama/dokusyo18.htm#TOP
下の図は、『新版・原発を考える50話』(西尾漠・にしおばく)、岩波ジュニア新書からのコピーです。
文字が見にくいのですが、
赤の印が「原子力圧力容器」です。
この部分が、本書の1/3を占める、「原子力圧力容器のゆがみ矯正事件」に関わる部分です。
著者(田中三彦)が携わった原子炉圧力容器の大きを、本書(p4)からの寸法で示せば、以下のようになります。
容器内径・約5.5メートル。
高さ・約21メートル。
重さ・約500トン。
福島原発は全て沸騰水型。
原子炉・圧力容器

福島第一原発を製造したメーカーを、記しておきます。 (3月24日、ラジオを聞いたときのメモです)
1号機・・GE(アメリカ・ゼネラルエレクトリック社)
2号機・・GEと東芝。
3号機・・東芝。
4号機・・日立。
著者が携わった原子炉圧力容器の設計は、4号機にあたります。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
東電・福島第一原発の危機の状況は依然として続いています。
一日も早く最悪の状態から脱して欲しいという想いのなかで、本書の感想を記します。
(不十分な感じがするのですが、再度、眼を通すことになると思いますので、そのとき、追加をしていくつもりです)
(2011年)3月18日に「日日是・・05(東日本大震災から一週間を迎えて)」で書いたときに、田中三彦氏の名前と氏が書いた本『原発はなぜ危険か』を知り、一読しました。
「日日是・・05(東日本大震災から一週間を迎えて)」にリンクします。
すでに20年前に書かれた本ですが、今、同時進行している福島第1原発4号機の原子炉圧力容器の設計に携わった人の文章であるだけに、緊張をもって読み終えました。
本書は以下のように三部分かれて編集されていますが、今回の「読書ノート18」では主に、第一部のゆがみ矯正事件を取り上げます。
第一部・・ゆがみ矯正事件。
第二部・・運転中の原発の安全性。
第三部・・原発に象徴されるもの。
________________________________________
第一部「ゆがみ矯正事件」
本書は、<福島4号原発・原子炉圧力容器>に関する、「ゆがみ矯正事件」から、書かれています。
福島第1原発4号機は1978年10月に営業運転が開始された電気出力78万4千キロワットの当時としては大型の原発です。(現在は11万キロワットが標準)
日立製作所・系列会社「バブコック日立・呉工場」に勤務していた著者は、当時、日本で最高のレベルにあった工場で1972年から2年数ヶ月をかけて、製缶作業(円筒形の容器の製造)により製造された原子炉圧力容器の円形断面が、法的基準を超えて楕円形になってしまったことから、この本は始まります。
この原子炉圧力容器は、最初の画に示したように、容器内径≒5.5メートル、高さ≒21メートル、重さ≒500トンの大きさとなっています。
問題となったのは、内径の真円度です。
最大直径-最小直径=34ミリが合格基準なのですが、この34ミリが15ミリ大きい49ミリになってしまったのです。(p16)
(49ミリの数値は、日立の公表数値であるため、実際はどうであったかは不明であるようです)
全く初歩的なミスによって生じた、このゆがみを矯正するための計算値を出すことを、「計算屋」の著者が命じられ、約1ヶ月のコンピューターを使っての悪戦苦闘が始まります。
合格基準にもっていくための、次々に出てくる問題を、私は驚きをもって読んでいくことになります。
こうした作業が、圧力容器に後遺症を残すことも書かれていますが、熱処理、応力、焼入れ、焼き戻し、焼きなまし(焼鈍・しょうどん)などの設計上必要な用語が説明の軸をなしているため、とまどうことがありますが、ことの重大さは読む側に伝わってきます。(p12)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
そして、次のように述べます(p39~41)
1、矯正作業はそれだけでも遺法ではないか。
  試験データーなどの裏付けのない、製造技術を、原子炉圧力容器の製造過程に持ち込むことは、法規上許されていない。
2、ゆがみ矯正作業の基本的問題。
作業方法の検討だけでも1ヶ月以上を要した違法性の疑いが濃いゆがみ矯正作業を、国や電力会社を1人も立ち会わせることなく、一メーカーの独断で行いえたのはなぜか、ということと関わる問題である。
3、原発の安全性に関についての国の責任。
原発の安全性に関して、我々一般大衆が最終的に頼らざるをえないのは、個々の原発の安全性に対して、管理責任を有する国の知識と判断力である。
 言葉を換えれば、技術のみならずあらゆる面で、きわめて「現実的」な製造メーカーや電力会社に的確に対応する能力といってもいい。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
私たちは、(20011年)3月11日に起きた福島第一原発事故当初の記者会見を、苛立ちをもって見ていました。
東京電力は、安全を強調するだけの無意味な内容。
本来、原子力の安全を監督する立場にある、「経済産業省・原子力安全・保安院」の、東京電力の代弁のような会見。
そして、二転三転しながらの政府の会見。
著者がいうように、利益を優先する「現実的」な東電の弁解に引きずられて、より一層の危機を深めてきたことを忘れることはできないのです。ことは、放射線の放出と人命に関わる出来事であったにも関わらずにです。
日本の原子力政策は、危機管理を喪失した形で、利益優先の業界の方針で、今日まで行われてきたことを、現実をもって知らされたのです。
________________________________________
第二部「運転中の原発の安全性」
さらに、第二部は「運転中の原発の安全性」で、東電・福島第2原発、中国電力・島根原発1号機、関西電力・大飯1号、高浜1号、美浜3号などの事故の例を詳細に説明していますが、割愛して、事故に対する以下の文章を引用しておきます。
要するに事故をどのように想定するかは、あくまで主観的な「選択の問題」である。
(中略)
全ての壁が崩壊するような最悪の事態が想定されない理由は、おそらくたった一つ、「そのような事故想定は原発の建設を不可能にする」ということだろう。
言葉を換えれば、安全評価で採用されている重大・仮想事故とは原子力発電所を建設するという目的を不可能にしない範囲で「こんな事故を想定してみました」という、ことでしかないと思われる(p75)

この文章をよんで、「想定外」なる言葉で、責任を回避できる、日本の原子力行政(国と企業)の現実を、見せ付けられる思いがするのです。
________________________________________
第三部「原発に象徴されるもの」


チェルノブイリの事故から日本が学ぶべき最も重要なことは、事故後ただちに日本の原発推進者によって強調された「構造の違い」でも 、「炉の制御性の差」でも、「規則違反」でもなく、もっと単純な次の二つにしぼられるように思う。
一つは、どこから見ても壊れそうにないあの巨大な建物が、一瞬にして瓦礫の山と化したという「事実」である。
(中略)
もう一つは、本来人が近寄ることのできない現場の危機的状況(クライシス)がいったいどうして比較的短期間のうちに鎮静化されたか、である。
(中略)
鎮静化には二つの要素がフルに機能していた。
一つはヒロイズム。そしてもう一つは--じつに哀しいことだが--現場作業員の放射能や被爆に対する無知である。だが、幸か不幸か、いまの日本ではそのどちらも機能しない。
「廃棄物処理(あるいは核燃料サイクル)」、「廃炉技術」そしてクライシス・マネージメント」(大規模事故時の対応)。
この三つに対する明確な展望をもたぬまま、日本の原発はスタートした。(p166~167)

20年まえの著者の言葉は、今の原発事故を暗示した言葉でもあるでしょう。
TVで福島原発事故を語る解説者の殆どが、チェルノブイリ事故にはならないとする理由に、「構造の違い」などを何度も繰り返してきたことを忘れる訳にはいかないからです。
当初、「スリーマイル島の事故」にはならないと言って来た解説者は、「スリーマイル島の事故」を超えたことを、「想定外」の言葉でもって認めているのです。


日本の場合は原発がすべて海岸に建設されているという特殊性がある。
大事故を起こせば、大気ばかりでなく、おそらく海流をとおしても、放射性物質を世界中にばらまくことになる。このことだけとっても、原発はすでに一国の問題ではないといえるはずだが、国や電力会社は原発見直しの世界的趨勢を無視して、自国民の「豊かな生活」、そしてそれを支えるための「エネルーギー論」を説いている。
そして、いまや技術はアメリカを凌いでいる、日本ではスリーマイルやチェルノブイリのような大事故はおこりえない、とし、原発の安全性を喧伝(けんでん)強調する。(p169)

確かに、私たちは、幾つかの事故のたびに、「スリーマイルやチェルノブイリのような大事故はおこらない」とする言葉を何度も耳にしてきたのです。
そうして、いつしか、私たち自身が、「危険ではあるが、そこまではいかないだろう」と、自分を納得させてきてしまったのです。
現在享受している、豊かなエネルギーを失うことの恐れが、まずありき、だったといえます。
すでに、海は汚染されてしまいました。
日常の野菜から、遂には飲み水にまで、放射性物質が検知されました。(3月23日発表)
異常な心理が、異常な行動を起こしていきます。
安全を強調する政府発表が、更に危機を拡大していきます。
「原発事故」がどうなるのか?
すべて、この一点にかかっているからです。
制御室に電源が点いたことが解決ではなく、ましてや、危機から脱したことには決してならないことは、報道の端々から理解できることです。
著者の書く、それぞれの文章が、現在の危機の状況と重なり合って進行しているのです。
著者は続けます。


原発には「安全なら良いのか?」という、もっとも基本的で、もっとも長期的な問題があると思う。
今日の核エネルギー利用や原発に象徴されているある種の価値を、今後もわれわれが受け入れていくかどうかという問題である。
そして、それゆえ、原発に異議を唱えることは、じつは、自らの生き方を問い直すことであるだろう。
たとえば、今後も今日のライフスタイルに特有の“快適さ”をわれわれが追い求めるというなら、「原発こそふさわしい」かもしれない。(p170~171)

これまでの、私たちの生き方を省みることなしに、原発の危険を論議することの無意味さを述べているのです。
今回の原発事故は、そうした、日本(人)全体を問われていることを忘れてはならないのだと、自らに問いつつ、一日も早い収束を願う、実に重い思想を試されているのです。
すでに、「原発から脱することの危機」を言い始めている解説者すらいるのです。
被害は拡大し、放射線を浴びながら必死の作業を続けている人たちが、いつ、解放されるのか、全く未知数の現状のなかにいる最中にです。
________________________________________
著者は「あとがき」で、「原発の設計に携わっていたときの心の状態」を、要約すれば、次のように述べています。
“原発の建設が地域社会を、個人の暮らしをどのように変えるのか、原発に心の底から不安を抱く人たちがどれだけいるかを考えたことは一度もなかった。 原発を支えている“高度な技術”を一般の人々が理解できないからだろうという程度のものだった。
”故・シュフチェンコ監督が撮影した*チェルノブイリ原発事故の記録映画だった。もはや、原発は合理的に弁護する対象ではないと思った。”と。
*(私は、この記録映画を観ていませんので、内容については不明です。ただ、機会があれば是非観たいと思います)
原発の設計に携わっている技術者の気持ちを述べるとすれば、上記の著者が他の人々を見る眼になるだろうと思います。
だからこそ、不安な地元の感情など、情報公開など無視しての「絶対安全」の繰り返しで、今日まできたのです。 そうした「安全神話」の崩壊のなかで、どう未来をみつめるのかが、原発に関わった人をも含めて、問われているのだと感じるのです。
________________________________________
改めて、本書が、日本における原発の実際の姿を見るうえで、極めて重要で貴重な本であることを実感します。
危機的状況の中で、原発事故と闘っている人たちの作業の困難さをみて、根底から原発の存在を考えるべきと感じながら、今こそ、本書と著者の想いに立つべきと考えます。
近くの書店に無かったため、図書館から借りて一読しました。
先日、通りかかった「book off」で見つけました。
岩波書店で、是非、再版をして、1人でも多くの人に読んで欲しいと思います。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
田中三彦
1943年生まれ。 1968年、(株)バブコック日立に入社。原発の設計に従事。
1977年に退社(全くの個人的な理由と述べています)。
以来、科学および科学思想に関わる翻訳、執筆を続けている。
(本書を書いた、1990年の時点)

田中三彦氏の本と対談のメモ。
http://www.geocities.jp/out_masuyama/dokusyo21.htm#TOP
Ⅰ、『空中鬼を討て(・原発・地球環境「非常識」のすすめ)』(くうちゅうきをうて)
(田中三彦、ダイヤモンド社、1992年発行、290頁)
Ⅱ、雑誌『オルガン⑥』(現代書館、1989年1月発行)
「対談・栗本慎一郎VS田中三彦、テクノロジーの彼方」(p14~40)
“たとえていうなら原発は腫瘍です。腫瘍がどんなに危険かというふうに、腫瘍を問題にしたってしょうがないじゃないかと。腫瘍を生み出しているのは人間のほうにあるんだ。
病理性ということで人間を見ると、今生み出している巨大技術の問題とか原発の問題なんかは、自分の問題としてはね返ってくる可能性があるんじゃないかな、とぼくはみてるんですけれどもね”
雑誌『オルガン⑥』「対談・栗本慎一郎VS田中三彦、テクノロジーの彼方」より。
________________________________________
「読書ノート18・田中三彦『原発はなぜ危険か・元設計技師の証言』」の感想を書いた後、同じ著者の本を読みました。
前後して、20年以上も前の雑誌をめくっていたら、田中三彦氏の対談が載っていました。
赤線が引いてあったりしてあるのですが、忘れていました。
再度、読み直して、いくつか、印象に残った箇所を記しておくことにしました。
これからも、田中三彦氏の発言には注目していきたいと思います。

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Ⅰ、『空中鬼を討て』
書名の「空中鬼」とは、中国語で酸性雨のことを指します。
「本書は地球環境と原発をめぐる数々の「常識」の出所や中身を検証し、或いは代案を模索したものである。(p6)」と著者が書いているように、温暖化、酸性雨、オゾン層などについての文章を、三部にまとめたもので、著者は各々次のように書いています。
第一部「空中の鬼」は、酸性雨の問題を含め、地球環境の具体的な問題について論じた。特に第三章では、原発増設の根拠となっている地球温暖化理論の危うさを検証した。(p9~120)
第二部「水中の鬼」では水の問題、そしてそれとあわせて、環境問題に対する興味深い処方箋の例を取り上げた。(p121~192)
第三部「原子炉の鬼」は、1991年2月9日に起きた関西電力美浜原発2号機の大事故を中心に、原発の危険性を詳細に論じた。
すでに、通産省の最終報告書が発表され、一件落着したかにみえる美浜の事故だが、まったく未解決の技術的問題が山積してる。地球的環境を守るためという原発増発が、環境に対する「潜在的脅威」であることがよくご理解いただけるはずである。(p193~289)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
本書の主な内容は以上のとおりですが、直接、原発に関する第三部「原子炉の鬼」からのみの引用にします。
関西電力美浜原発は以下の3機の原発があります。
1号機・・1970年11月運転開始。34万キロワット。
2号機・・1972年7月運転開始。50万キロワット。
3号機・・1976年12月運転開始。82.6万キロワット。
美浜原発2号機は、大量の冷却水漏れの事故を起こしますが、情報を聞きながら、文章を書いている緊張感が伝わってきます。
”(p194~195)(1991年)2月9日午後一時半頃、福井県三方群美浜町にある関西電力美浜2号機(加圧水型原発、出力50万キロワット)が、運転中に大量の冷却水漏れを起こした。
いまこれを書いている時点での各種報道記事によれば、流出した冷却水の総量は20トンとも数十トンともいわれる。冷却水の大量流失は、感知されずに進行した場合、原子炉を空焚きにし、恐ろしいメルトダウン(炉心溶融)を引き起こし、短時間のうちに大規模公衆公害へと発展する。
幸い-本当に幸いなことに-今回は、最後の頼みの綱「緊急炉心冷却装置」(EMERGENCY CORE COOLINNG SYSTEM 略して ECCS)がうまく作動し、大災害をまぬがれた。ECCSというのは、なんらかの理由で冷却水が大量に流失したとき、炉が空焚き状態にならないよう、大量の水を炉に自動的に注入する<ことになっている>システムのことである。
それが実際にうまく作動するかどうかは、これまでよく論議されてきた。
この事故は次の二つの点で、日本に起きたこれまでの原発事故とは大きく異なっている。まず、「前々から予想されていた」ということ。これまで原発の事故が起こると電力会社や国はいつも、それが「予想しえなかった事故」であるとし(その典型は東京電力福島第二原発3号機の再循環ポンプ破損事故)、「今後はこれを教訓に安全に万全を期すつもりである」などといってカーテンを引いてきた。 しかし今回の事故は予想外の事故でも何でもない。
地元住民をはじめとして多くの人々が前々から心配し、関西電力や国に抜本的な対応を求め続けてきた事故のストーリーが、ずばり現実化したのだ。”

以下は箇条書きにしていきます。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
1、蒸気発生器細管の欠陥。
(p195)事故の原因である<蒸気発生器細管の欠陥>は、冷却水の大量流出を引き起こす可能性があることを、市民グループは指摘してきたが、原発推進の専門家・理論家たちは、素人の心配ごととして無視してきた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2、ECCS(緊急炉心冷却装置)が作動したこと。(p196)電気信号の誤動作で作動したことは過去(1992年まで)に3回あるが、メルトダウンのような緊急事態の回避のために、運転中にECCSが「本気」で作動したことは、日本で始めてである。
ECCSが作動しなかったら、日本は修羅場であったに違いない。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
3、<ECCS神話>の誤りと危険。
(p198)ECCSが作動するから安全という<ECCS神話>は間違いである。
関西電力をはじめとしていくつかの電力会社が使っている「加圧水型原発」には、原発の最後の守り神であるECCSが作動すると、そのために、大規模公衆公害が引き起こされてしまうという可能性がある。
「加熱衝撃」(PTS)の問題がある。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
4、「加熱衝撃」(PTS)。
(p198)熱い温度のガラスコップにいきなり冷たい水をかければ、コップは「熱衝撃」を受けたために割れる。
「加熱衝撃」とは、原子炉が高い水圧を受けながら「熱衝撃」にさらされることである。
原子炉容器は鋼で出来ており、直径4メートルほどの円筒形で、通常運転中の温度は300℃を超える。
今回の事故のように、冷却水流出を感知してECCSが作動すると、大量の冷たい水が一気に原子炉内に流入する。
突然冷たい水が入ってくるから、炉は「熱衝撃」を受ける。そのときの原子炉内部の水圧力がまだ十分高い状態にあると、炉は熱衝撃と水圧力という二つの力を同時に受ける。
もちろん、原子炉の設計者はこのことを考えて、なんとか耐えるように設計している。しかし。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
5、脆くなっている原子炉容器=「中性子照射現象」。
(p199)原子炉容器の内側の壁は、運転中の核分裂によって生じる中性子で絶え間なく叩かれているため、鋼は年々脆くなっていく。
この現象を「中性子照射現象」といわれ、脆くなる程度が分からないのである。
分かっていることは、関西電力の美浜原発1号機のように、作られて20年以上になる原発は、すでに鋼がボロボロになっているという事実である。
原発の専門家が、当初予測したものとは比較にならない速さで脆くなっている。
明らかなことは、長い間中性子を浴び続けてボロボロになった原子炉に突然ECCSだ作動すると炉は加熱衝撃にさらされ、耐えられず、瞬間的に炉が割れてしまうことがありうるのだ。
(著者はこの美浜原発2号機の事故を、さらに、他の角度から見て書き加えていますが、一つ間違えば、大惨事に繋がりかねない事故を、私たちは経験していたことの戦慄すら覚えるのです。
にもかかわらず、「安全な日本の原発」の嘘を、私自身が、半信半疑の状態で、この間、黙認して来た事を考えなければならないと思うのです。)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
原発との関連で、最近の温暖化をめぐる議論のありように、著者は次のように疑問を述べています。
(p168)”地球規模の温暖化は、冷却と温暖の間を往還しているのが現実である。
なのに、温暖化は最近になって始まったかのような論調が気になる。
「温暖化と冷却化」論は、イデオロギー的に情報操作されているのではないか。
70年代後半までは「冷却論」が主流を占め、それが80年代になると突然、温暖化論議が活発になった。”
(私には、現実には、温暖化は進んでいると思うのですが、上記に田中氏が言うような疑問も拭いきれないのです)
東電のCMだったのか、政府のCMだったのかも、その正確な年代も忘れているのですが、火力発電に対して、温暖化の原因である二酸化炭素を出さない、クリーンなエネルギーとして、原発を喧伝するTV・CMに出ていた、地球物理学者・竹内均(1920~2004)を思い出します。
TVなどで、大陸移動説を分かりやすく話し、「地震を予知することはまだ時間を必要ですが、出来るようになります」とも話していた竹内均が、晩年、原発のCMに登場し、そのクリーンさを言う度に、学者としての矜持を棄てたのかと、残念に思ったことがあります。
学者としての信念があったのか、かりだされたのかは不明ですが、晩節を汚したと思っています。
このあと、名のある知識人、タレント達がTVに登場し、「原発のクリーン」さを呼びかける時代が最近まで、続きました。
二酸化炭素による、地球温暖化が現実に進行しているにせよ、それが直接に、「原発のクリーン」への大合唱につながる。
残念ながら、そうした日本の状況だったのです。
________________________________________
Ⅱ、雑誌『オルガン⑥』 「対談・栗本慎一郎VS田中三彦、テクノロジーの彼方」
原発について手元にある本を探したら、22年前の、この雑誌に対談が載っていました。
所々に、線が引いてあったりして、読んだあとは残っているのですが、すっかり記憶から消えていました。
再度、読み直して、『原発はなぜ危険か』と関連付けて見ることができました。
1988年後半(何月かは不明)に、TV10「朝まで生テレビ」で「原発是か非か」の討論番組があり、そこに田中三彦も出ていたのです。
西部邁、栗本慎一郎、広瀬隆、そして、原発推進の先頭にあり、福島第一原発事故後、「原発の火を消してはいけない」とTVなどで発言している、日本原子力技術協会の石川迪夫(みちお)などが出演していいた筈です。
『オルガン⑥』はこのときの討論を背景にして行われています。
対談のときは、バブコック日立を退社して11年を経た、45歳の田中三彦が述べた幾つかを記しておきます。
田中氏の人間性をよく示している対談なので、出来るだけ、田中の発言のみ記してみます。


(p18)“ぼくは「ないほうがいい」ではなく「ない文化を望む」と言っていて、危険性の問題とは別の動機から発言しています。ただ、ぼくは自分で原発を作っていたから、
(中略)
短期的な意味では原発に壊れてもらいたくないですね”
(p18)“原発というのは、ぼくにとって結局異物感です。排除したいという気持ちがある。(中略)原発を排除するにしても、存続させるにしても、一番大きな問題は安全議論ではない。
(中略)
仮の話ですけど、(原発が)百%大丈夫だということになると、原発の存在を認めなくてはいけないことになるわけですね”
(p24)“(TVで)反原発というより福島(第一原発)4号はぼろいということを言ったんです。”
(p24)“ぼろいから危険だといったら、東電にありがたがってもらわなくちゃいけないんですね、よく教えてくれたといって。
本当はね、ぼくの役割としては「東電がだまされたんだよ」ということを教えてあげてるんだけれども、東電は教えてもらうことをいらないというんです。
(p38)“原発を生み出した人間に病理性を感じる。
(中略)
たとえていうなら原発は腫瘍です。腫瘍がどんなに危険かというふうに、腫瘍を問題にしたってしょうがないじゃないかと。腫瘍を生み出しているのは人間のほうにあるんだ。
(中略)
病理性ということで人間を見ると、今生み出している巨大技術の問題とか原発の問題なんかは、自分の問題としてはね返ってくる可能性があるんじゃないかな、とぼくはみてるんですけれどもね”

20年以上を経て、『原発はなぜ危険か』の文章とこの対談と、現在、危機の様相を帯びて、進行している原発事故が、人間の存在そのものまで問われていることに気がつきます。
現在の福島原発の事故が、危機的状態であることを認識して、一日も早く脱け出ること、その後、何年も懸かるであろう、原発事故の後遺症を抱えながら、原発の存在そのものを、日本(人)が問いかける日が、今であることを思うのです。

在野の科学者、高木仁三郎の著作、2冊を読んで。
http://www.geocities.jp/out_masuyama/dokusyo22.htm#TOP
Ⅰ。『市民科学者として生きる』(高木仁三郎、岩波新書、1999年9月発行)
Ⅱ。『原発事故はなぜくりかえすか』(高木仁三郎、岩波新書、2000年12月発行)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
“反原発というのは、何かに反対したいという欲求ではなく、よりよく生きたいという意欲と希望の表現である。” (『市民科学者として生きる』より)
「職業科学者は一度亡びねばならぬ」(『市民科学者として生きる』より)
“原発は自然の法則に逆らったシステム(アクティビズム)の極致の技術である。”(『原発事故はなぜくりかえすか』より)
________________________________________
著者の名前は知っていました。 著者が書いた文章は、どういうものかは忘れていますが、読んでいた筈だという、著者には失礼な書き出しと、略歴からから始めます。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
1938年生まれ。
1961年・・日本原子力事業株式会社(NAIG)に入社。(東芝・三井系の会社で1995年東芝に吸収合併)
1965年~1973年・・大学に勤務。
1972年5月始め~1973年5月末・・ドイツ・ハイデルベルグ「マックス・プランク核物理研究所」に留学。
1975年・・「原子力資料情報室」設立に参加。(代表・武谷三男、専従世話人・高木仁三郎)
1978年・・反原発運動全国連絡会『反原発新聞』創刊(編集長)。
1987年~1998年・・「原子力資料情報室」代表。
1998年・・癌(大腸がん)のため、代表を辞任。
  大腸がん手術→転移した肝臓がん手術→転移したリンパ節への抗がん剤治療を続ける)
1999年9月・・『市民科学者として生きる』発行(病床のベッドで執筆)
1999年9月・・茨城県東海村JCOで臨海事故。死者2名、住民非難。
2000年10月8日・・死亡(直腸がん)(享年62)
2000年12月『原発事故はなぜくりかえすか』発行。
________________________________________
数多い著者の本から、2冊に限って取り上げます。 どちらも、1998年に癌が発見され、苦しい闘病生活のなかで執筆(或いはテープに録音)された本です。
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Ⅰ『市民科学者として生きる』(高木仁三郎、岩波新書、1999年9月発行)
『市民科学者として生きる』は、自伝的な本で、科学者としての著者が、市民の立場で発言、行動していく「闘い」を綴ったものです。
最初に、読みながら、私の頭をよぎったいくつかのメモを記して見ます。
1、 著者の目線は、一貫して、民衆の眼の高さにあることに驚きました。
1960年代、日本原子力事業株式会社に入社しますが、会社のシステムに馴染めず4年3ヶ月で退社します。
その後、大学の助手、助教授、そしてドイツの研究所への留学と核化学の研究は続くのですが、「第三の火」として、原子力が脚光を浴びつつあった原子力の研究を、資本の側や、象牙の塔から行うことを拒否して、住民の側から、「核と原発」をとらえ、説いていきます。
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2、行動力の強さ。
「見る前に跳べ」「走りながら考える」と何度も、繰り返します。
一見、危うさを感じさせる言葉は、著者の行動によって、読む側の「腑」に強く落ちていきます。
原発を国の論理と資本の論理から、住民の手に取り戻して論じることの重要さを、文章とともに、時にはハンガーストライキをも辞せず、行動で示しくれた、類い希な科学者であったのです。
(行動力については、次の3、「原子力資料情報室」の設立とも関連します)
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3、1975年「原子力資料情報室」の設立に参加。
(代表・武谷三男、専従世話人・高木仁三郎)
「職業科学者は一度亡びねばならぬ」
1986年から1998年に癌が発見されて治療を受けるまで代表を務めます。
今回の福島第一原発事故の貴重な情報を、「原子力資料情報室」から知ることができました。
(p120)宮澤賢治に想いを寄せる著者は、賢治が農村の青年たちに、稲作法、科学、農民芸術などを講義するための私塾「羅須地人協会」(らすちじんきょうかい、名前の由来は不詳)をつくったのに学び、原子力に関する市民のための場として、「原子力資料情報室」を作ったことを述べています。
「羅須地人協会」で行った、賢治の講義の演題、「われわれはどんな方法でわれわれに必要な科学をわれわれのものにできるか」とする『農民芸術概論綱要』(賢治が31歳に書いたとされる、数ページの短い詩のような文章)の一節「職業芸術家は一度亡びねばならぬ」から強い衝撃をうけて、「職業科学者は一度亡びねばならぬ」と決意するにいたります。
その時の心境を次のように述べます。
(p124)“実験科学者である私は、私もまた象牙の塔の実験室の中でなく、自らの社会的生活のものを実験室とし、放射能の前にオロオロする漁民や、ブルトーザーの前に涙を流す農民(飛行場を作る為に、土地を取り上げられる三里塚農民)の不安を共有するところから出発するしかないだろう。 大学を出よう。そう私は心に決めた。”

「原子力資料情報室」は次々と大きな問題に直面していきます。
1976年・・美浜1号炉燃料棒折損事故(関西電力・1973年の事故を秘密裏に処理していたのを内部告発により明らかになります)。
1979年・・アメリカ・スリーマイル島の原発事故。
1986年・・旧ソ連・チェルノ・ブイリ原発事故。
1991年・・「青森・下北半島六ヶ所村・核燃料サイクル施設批判」を出版。 等々の、国と電力会社を相手の苦しい闘いが続きます。
1993年・・1月3日から5日までの3日間、フランスから茨城県東海村にプルトニウウムが船の「あかつき丸」で陸揚げされることに抗議のハンガーストライキを行います。 こうした幾つかの事例を見ただけでも、「原子力資料情報室」の存在の大きさに敬意を表したいと思います。
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4、2000年、著者は62歳で癌で亡くなるのですが、
人間の精神とはここまで強靭になれるのだと感嘆します。
「反原発は・・・・よりよく生きたいという意欲と希望の表現である」と書いた著者が、現在の福島原発事故を見たら、何と言うであろうか、そして、もっと生きて欲しかったという思いがつのります。
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以下、若干、印象に残ったことを記しておきます。
①(p13)“約40年間「核」と付き合ってきた。はじめの1/3は原子力を進める体制内の研究者として、残りの2/3は大きな研究開発体制から飛び出した、独立の批判者、市民活動家として。 ”
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②(p72)1961年著者が日本原子力事業(株)に入社したときを次のようにいいます。


“当時、原子力産業は産業たり得ていなかった。原子力への期待ばかりが先行している感じだった。(中略) 原子力産業は、政治的意図や金融資本の思惑が先行して始められた産業であり、技術的進歩を自ら成長していった産業とはかなり性格を異にしていた。”

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③(P209)原発推進者側からすると、チェルノ・ブイリ原発事故が起きるまでは、反対派は「うじ虫」のような存在であり、原発反対を飯の種にしている政治ゴロ的な扱いであった。
当然、嫌がらせもあった(具体例は省きます)。
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④核と原発に対する著者の考えを記しておきます。


A、(p216)“私は原発問題のなかに、すべてがあると思う。この問題に深く関わったことで、科学技術、産業技術の社会的関連や国際的関連をトータルにとらえることができた。
原発は言うまでもなく、技術的には核兵器と切っても切れない関係にある。”
(p240)“現代科学技術の多くは(中略)破壊や不安の源泉で在り続けている。核技術はその典型である。私はこの点で、現代の科学技術は、徹底的に非武装化されなくてはならないと思っている。”
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B、(p218)“原子力は過ぎ去ろうとする世紀を象徴する遺物といえるが、脱原発をはかろうとすれば、当然にもライフスタイルの総点検まで含めた、現在の右肩上がりのエネルギー産業政策の根本的問い直しが必要となる。
(中略)
さらに差別の問題がある。
原発内作業による被曝が極端に下請け労働者に偏るという問題から、原子力施設立地が過疎地域に押し付けられる問題、さらには放射性廃棄物が他国、他民族(いわゆる環境レイシズム[人種差別主義]の問題に関連)に押しつけられことなどなど、この巨大テクノロジーをめぐる差別の問題は事欠かない。”
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C、(p222)“理想主義者の私は、核のない社会が必ず実現する(出来うれば目の黒いうちに)ことへの強い確信をもっている。
(中略)
反原発というのは、何かに反対したいという欲求ではなく、よりよく生きたいという意欲と希望の表現である。”
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D、(p239)著者が信条としてきた理想社会とは以下の4つにまとめられます。
① 人と人、人と自然が相互に抑圧的でない社会(自由と平等の原理、人と自然の共生、多様な文化・人種の共生)。
② 平和(安心して暮らせること)。
③ 公正な社会。
④ そうした世界が持続可能性の保障。

文章のなかから、伝わってくるものは、民衆の生活と心を踏みにじる者への怒りであり、そうしたものに加担する科学の在り方への強い抗議です。
現在、何時収束するかも定かではない、福島第一原発事故に直面した私たちの前に、多くの原子力専門家と称する科学者が、TVから「安全」を強調していました。
素人の私たちの不安と「危機から逃れたい」という願望を、一時的には慰めてくれる役割をはたしただけで、事態は、危機を進行させていきました。
改めて、著者の言葉「職業科学者は一度亡びねばならぬ」と喝破(かっぱ)した著者の言葉の意味を感じるのです。
<宮澤賢治のように生きた在野の科学者>
この本を読みながら何度も感じたことでした。
宮澤賢治の心に触れる、民衆への限りない想いと行動をもって、生き抜いた科学者がいたことを、誇りに思えるのです。
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Ⅱ『原発事故はなぜくりかえすか』(高木仁三郎、岩波新書、2000年12月発行)
本書は、2000年の夏に、死期を意識しつつテープに残した、著者の最後のメッセージとなった本です。
幾つかのメモです。
1、原子力文化というものはない。
(p18)1986年のチェルノ・ブイリ原発事故の後、INSAG(国際原子力安全諮問グループ)が設置され、原子力安全文化の原則が提唱されたことに対して、著者は次のように反論します。
「原子力に固有の文化などというものがあるのか」と疑問をなげかけます。


“「伝統的に人々の心から心に受け継がれていくような内面的で伝統的な行動様式、これを文化という」と、仮に文化の定義を決めるとすると、そういうものは、原子力というものと結びついて固有にあるのかどうか、非常に疑問です。”

「原子力安全文化」なる言葉があることを始めて知りました。
著者の言葉に全面的に賛同します。
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2、原子力産業は「議論なし」「批判なし」「思想なし」の「三ない主義」である
(p25)上の言葉は、著者が、会社に入ったときから、痛感してきた現実を述べたものです。
このことを、現在起きている、福島原発事故の連日の「原子力専門家」の言葉には、素人の私(たち)ですら考える危機を持つことなく、今日に到った「思想」の実態を知らされてきました。
「安全神話」の崩壊は、直接、住民の生と死をもたらすにもかかわらず、彼等には文化と生活の何たるかを、この危機においても、理解できなかったのです。
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3、“日本の原子力の導入の歴史
(p27、36)“日本の原子力の導入の歴史は、1954年に突如として、いわば国会議員の青年将校みたいな中曽根康弘氏と財界人の正力松太郎氏とが一体となって、国会の閉会間際の土壇場の3月2日に補正予算という形で原子力予算を通したことに始まります。”
この、殆どの人にとっては寝耳の水であり、議論もなく、予算が付けられ、歩き出したことが原子力産業にとっての不幸であり、非常に非文化的な出発をしたのだと、著者は続けます。
異常な形で歩き始めたにせよ、国家プロジェクトとして正式に認められた以上、加速を増して走り始めました。
1955年には原子力基本法が成立し、アメリカの後を追うのですのですが、一体何をやるのかということについては、ほとんどはっきりしていなかったというのです。
そうだったのかという諦めと、この出発が現在に直結していることを忘れてはならないと思います。
日本が、今の悲劇から「脱原発」に向かうためにも。
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4、原発の事故に対する、現在の事故防止方法の危険性
(p177)原発の事故に対する、現在の事故防止方法の危険性を次のように述べます。


“原発が本当に深刻な事故に到った場合に、人為的な判断で外からダイナミックな装置介入させてシステムを止めるとか、緊急冷却水を送り込んで原子炉を冷やすということでなくて、本来的に備わった安全性(パッシング・セフティーと言われています)によって暴走を止めるようなありかたが望ましいのではないかということです。
(中略)
危機状態のときに、モーターなどを使って人為的で動的な介入をして安全を確保するようなことをやると、モーターが動かないときはどうするのかという問題が必ずでてきますから、そうではなくて、危機状態になったら必ず、たとえばもっと強力な自然の法則、重力の法則が働いて、それによって制御棒が挿入されるというような、そういった本来的な安全性が働くような形のシステムであったほうがよいということです。
そのようなパッシブなセフティーのほうが望ましいのではないでしょうか。”

とても説得的に感じました。
同時に、ここまで考えなければ、原発の安全性は有り得ないとすれば、原発産業としては、不可能に違いないことは私にも感じ取れます。
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5、「原発は自然の法則に逆らったシステム(アクティビズム)の極致の技術」
(p178、9)「原発は自然の法則に逆らったシステム(アクティビズム)の極致の技術」と言い切った著者は、それに代る、自然の法則に従った太陽熱などのような、循環の中でエネルギーを賄っていくシステムへ移行すべきことを述べています。
勿論、脱原発から新に進むべき日本を考えれば、容易ではないでしょう。
それでも、原発のなかで生活する異常さから、脱け出ることの正当性に確信を持つべきだと思うのです。
すでに、それに向かっての具体的な動きが始まっています。
2011年)4月21日の毎日新聞には、以下の記事が載っていました。
「ソフトバンクの孫正義社長が、原発依存から脱して自然エネルギーによる発電を推進する「自然エネルギー財団」の設立をあきらかにした」。
脱原発の動きは事業家によって始まり、加速していくでしょう。
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本書の最後にある、死を目前にした著者の言葉から、後半の部分を引用しておきます。


“友へ。高木仁三郎からの最後のメッセージ
(略)
残念ながら、原子力最後の日は見ることが出来ず、私の方が先に逝かねばならなくなりましたが、せめて「プルトニウム最後の日」くらいは目にしたかったです。でも、それはもう、時間の問題でしょう。すでにあらゆる事実が私たちの主張が正しかったことを示しています。
(中略)
なお、楽観できないのは、この末期症状の中で、JCO事故からロシア原潜事故までのこの一年間を考えるとき、原子力時代の末期症状による大事故の危険と、結局は放射性廃棄物が垂れ流しになっていくのではないかということに対する危惧の念は、今、先に逝ってしまう人間の心を最も悩ますものです。
後に残る人々が、歴史を見通す透徹した知力と、大胆に現実に立ち向かう活発な行動力をもって、一刻も早く原子力の時代にピリオドをつけ、その賢明な終局に英知を結集されることを願ってやみません。
私はどこかで、必ず、その皆さまの活動を見守っていることでしょう。
               いつまでも皆さんとともに。
                      高木仁三郎

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もし、著者が生きていれば、現在、73歳です。
危機と絶望に陥りかねない現実のなかで、一つの方向を指し示してくれたのではないかと思ったりします。
「原子力資料情報室」のなかで、「高木さんの志を継いでいきたい」と言っていた言葉を思い出しました。
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参考にした本です。
『いま自然をどうみるか』(高木仁三郎、白水社、1998年発行) から、原発にかんする文章を引用します。
すでに述べてある文章を、表現を変えていますが、参考になりましたので追記とします。
(p16)“プルトニウウムといい、放射能廃棄物といい、いずれも人間がその原理を自然から抽出した結果として生み出された「第二の自然」である。しかしこの「第二の自然」は、今や私たちの社会と自然を蚕食(さんしょく)し、もともとの「第一の自然」にとって代り、次第に人間の精神を抑圧支配しつつある。
(p17)核テクノロジーは、人間が自然からより強力な、より巨大な力を取り出そうと努めた一つの極限に生まれた技術である。しかし、まさに、その強大さが自然の一員たる人間に抑圧となってはね返ってきつつあるのが、現在の状況だ。
比喩的な言い方が許されるならば、「第二の自然」が「第一の自然」を私たちの内部で支配しつつあるのである。
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福島第一原発事故は、依然として危機の状態から脱していません。
科学に「収束を祈る」などの言葉が重なることが、不思議に感じられなくなった、「原子力科学」。
これ以上、悪くはならないで欲しいという思いが、たとえ、偶然であっても、収束に向かって欲しいという願いをもって。

20110523 参議院 行政監視委員会01_02小出裕章さん~後藤政志さん


[原発ダイアリー]後藤政志さん講演:「本質的に安全な原発は無理」
http://d.hatena.ne.jp/ootomi/20110522/1306038518

【抜粋】
(私は)元々は船を設計していた。
船は外圧容器。
原子力産業に移る時に、「容器ならできます」と言ったら、原子炉の格納容器(内圧容器)に回された。
 原子力産業は、とにかく金がある。
5千万円くらいかかる実験を、おそるおそるやってみたいと言ったら、50億円つけてくれたこともある。
 3月11日に、政府は「核反応は止まった。あとは冷やし、閉じ込めるだけ」と発表した。しかし翌12日にはメルトダウンして、格納容器の底に穴が開いていた。
 格納容器はすでに設計限界を越えていて、あちこちから放射性物質が漏れていた。
そこに爆発。
漏れていた放射能を発電所の外に一気に広げた。
ドライウェルベントは、何のフィルターも介さずに放射能を外に出すということ。
それなのに政府は「万一のために行う。ただちに健康に影響のないレベルだ」といってベントした。
本来なら「放射能を放出する。危険なので避難してください」というべきだった。
 事故の規模を考えるときのポイントは、現在の放出量だけではなく、危険源の量で評価しなければならない。
チェルノブイリの場合は損傷したのは1基だけだった。
福島の場合は4基とも事故を起こしていて、おおざっぱに言って3倍の放射性物質が事故に遭っている。
事故の規模はチェルノブイリの3倍相当と言っていいのではないか。
 1~4号機のすべてが深刻な問題を抱えている。
ひとつでも大事故を起こしたら、連鎖的に4基とも大事故になるのが目に見えている。
事故はまったく収束していない。
 冷却と水蒸気爆発のリスクは抱き合わせ。
 制御棒の挿入に動力が必要で、制御棒の脱落事故が頻繁に起こることが、沸騰水型原子炉(BWR)の最大の弱点。
これまでも何度もそれ関係の事故が起こっており、どうしても絶対の安全がない。
 絶対に安全な原子炉というものは作れない。
今回の事故は、地震の時点で送電線が倒れ、外部からの電源供給が止まった。
地震・津波はきっかけにすぎず、落雷、台風、竜巻と、事故シーケンスは無限に考えられる。
 老朽化による機器の損傷や人為的なミスは防げない。
絶対安全な原発が作れない以上、私は原発に反対する。
 東電からの情報はころころ変わるから、データを基に何が起こっているかを考えることができない。
批判的な研究者が一生懸命知恵をしぼって、考えを発表すると、とたんに「今までのデータは間違いでした」といって、根底からくつがえされてしまうことが続いている。
こんな状態では、思考停止にならざるをえない。
 今度どこかで原子力事故を起こせば日本は確実に壊滅する。
完璧な事故対策より、エネルギーシフトの方がはるかに容易。
膨大な原子力予算を他の技術に向けよう。(文責筆者)


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