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仏生寺弥助

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越中射水郡仏生寺村の出身。
江戸へ出て、同郷の斉藤弥九郎に師事する。
練兵館でのスタート時は吉村豊次郎と称し、風呂焚きから身を起こし、神道無念流二代目、岡田十松利貞の薫陶を受けたちどころに腕を上げ、わずか十代で神道無念流皆伝を授かり、練兵館の天才剣士とうたわれたが、無学文盲のために剣術指南として身を立てることはできなかったようである。
大上段から振り下ろす剛剣は、「それ、面を打つぞ」と言われてもよけることができず、さらに彼の前蹴りもすさまじく気絶昏倒する者続出で、当時江戸においては『日本一』といわれた男である。
斎藤弥九郎をして「鉄の草履で日本国中探しても二人とはいないだろう」と言わしめた。
流儀も自ら仏生寺流と称したといわれるが、古い書物には円命流の達人と記されているものもあるという。

その強さを立証するエピソードは多いが、ある日、練兵館に片山伯耆流の宇野金太郎という剣豪が手合わせを願いたいとやってきた。
宇野金太郎といえば、岩国で片山流を修め江戸では男谷精一郎、千葉周作に学び、当時剣鬼と呼ばれた達人だ。
宮本武蔵の逸話のように「箸で飛ぶ蝿をつかむ」ことが出来たといわれ、得意技は小手で、桃井道場の名剣士、抜き胴の上田馬之助を手もなく打ち破り、千葉道場の俊英、海保帆平をもくだし意気揚々と斎藤道場の錬兵館にやってきたのだった。

塾頭の桂小五郎(後の木戸孝允)が相手をし、後ろ面を狙ったところ、振り向きざま神業ともいえるスピードで小手を抜かれ、手の骨が砕けるほどしびれたという。
その後、千葉の小天狗、千葉栄次郎(わずか30歳で夭逝)とも引き分け、突きの鬼歓と恐れられた斎藤歓之助(斎藤弥九郎の弟)が相手をするが、中段から突きへ移行する間際の小手を狙われ一本負け。
歓之助の意向を受けた弥助が郷里へ帰った宇野を追い、岩国の養老館道場で立ち会うことになった。
ここで弥助は「面を打つ」と宣言した上で大上段から得意の面を打ち、2本目も同様の面打ちで宇野は気絶してしまう。
大上段で振りかぶって勝つだけでも実力の差は歴然としているが、攻めるところを公言した上でなお打ち抜けるのは、他に例を見ない早業であった。

錬兵館の同門である桂小五郎や高杉晋作から、長州に来るよう強く誘いを受け、清河八郎献策による浪士隊に応募し、京都において長州藩に新規召抱えになった弥助は、武具並びに馬具が無く、京都松原通りの大丸に三百両の借金を強要、たちまち遊行費に使ってしまった。
以前からの知り合いであり同門の芹沢鴨、そして流派は異なるが、やはり道場も近く顔見知りであった近藤勇ら試衛館の面々と親しく付き合い、その飲食代に使わされてしまったのである。
大丸の訴えを受けた長州藩は三百両を返済し、一人ほろ酔い加減に歩く弥助を、斎藤弥九郎をはじめとする十数人が襲い、五条河原でなぶり殺しにした。
弥助は、相手の中に斎藤弥九郎を見つけ、恩を受けた師匠の息子である2代目に立ち向かうことが憚られたのか、最後まで剣を抜かないまま弥九郎の突きをまともに受けたようである。
また、斎藤弥九郎にしてみれば、長州藩士を多く弟子に抱えていたことから、それと敵対する壬生浪士たちと仲良くする弥助を見過ごすわけには行かなかったのと同時に、父である初代斎藤弥九郎に可愛がられていた弥助に対して嫉妬を感じていたこともあったのだろう。
一説には、まともには討ち取れないので、彼らが誘って酒を飲ませ、泥酔させた上での謀殺だったという話も残っている。
剣にしか生きられなかった幕末一の剣客は、幕末動乱の中、不器用な生涯を終えたのである。享年33歳という。
時に文久3年6月24日(8月8日ともいわれる)のことである。
死骸は松原河原に晒したが、町内の人が棺に入れて金方寺に葬ったという。

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