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山本五十六の覚悟

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1919~23年アメリカに駐在してハーバード大学に学ぶ。

駐米武官などの経験から、米国との圧倒的な国力差を実感していた山本は、軍拡競争に当初から反対していたが、当時、海軍内部では「艦隊派(軍縮条約反対派)」と呼ばれる軍拡勢力が力を増していた。

海軍次官に就任当時、米内光政海軍大臣、井上成美軍務局長とともに、日独伊三国同盟に体を張って抵抗した。
そのため、脅迫状や暗殺の予告が相次ぎ、山本は「誰カ至誠一貫俗論ヲ排シ斃(たお)レテ後已(や)ムノ難キヲ知ラム」(至誠を貫き、俗論を排除した末に死ぬ困難を誰が知ろうか)とした遺書を次官室の金庫にしまっていた。

歴史探偵を任ずる作家の半藤一利さんがしばしば探っている歴史上の人物に、連合艦隊司令長官の山本五十六がいる。
反対していた戦争の指揮を執ることになった人である。
言動をたどると、日本人の集団主義に対し、恐れを抱き続けていたという。
その山本が戦死した長官機撃墜事件の謎が、機密解除された米軍の史料で解き明かされた。破棄すべき古い乱数表を使って巡視日程を知らせる暗号電報を作成したため、容易に米軍に解読されて待ち伏せされてしまった。

長官機を護衛したパイロットが戦後、上層部は「暗号は変えたばかりだから、絶対に解読されるわけがない」と、安全に自信を持っていたと証言している。
机上の計算通りにいかないのが世の中である。
山本はそれをよく分かっていたのかもしれない。
広く知られている語録の中に<やってみせ、言って聞かせて、させてみて、ほめてやらねば人は動かじ>とある。
戦死する2週間ほど前には、遺髪を同封した手紙を愛する女性宛(あて)に書いている。覚悟を伝えたかったのか、死の予感がしたのか。

「うつし絵に口づけしつつ幾たびか千代子とよびてけふも暮しつ」
1942(昭和17)年5月26日付のこの歌の発信者は、当時、広島県の呉軍港にいた連合艦隊司令長官、山本五十六(58歳)、宛名の相手は、元東京新橋の芸者河合千代子(38歳)で、銀座の芸者置き屋の女将。
昭和初期に知り合った二人の関係は十数年続いた。
1943(昭和18)年、山本司令長官機が米軍機に撃墜された直後、千代子は海軍省から自決を迫られた。
拒むと山本からの手紙約60通を没収されたが、数通だけは隠し持った。
うち2通が、沼津市の病院長の手にわたり、「うつし絵に」の歌はその中にあった。

1941年(昭和16年)12月8日の開戦にあたり、山本が所懐を遺書としてしたため、戦後は所在不明になっていた肉筆文書「述志(じゅつし)」が見つかったという。
〈名をも命も惜しまざらなむ〉。命のみならず、名誉も惜しまない。
「いまに俺の家へ石を…」と、暗い結末を見通した眼光がここにもある。
やってはならぬと唱えてきた戦争で先陣に立たねばならない人の、決死の覚悟がしのばれる。
アジアで戦線が拡大しているところへ、鉄鋼生産量は日本の10倍、原油生産量は740倍の国を向こうに回しての開戦である。

航空主兵論と短期決戦論にもとづいて真珠湾攻撃計画を立案、作戦を実行、成功。
山本の声望は絶大となり、国民的英雄と称えられた。
しかし早期決戦を意図して決行したミッドウェ-作戦では、事前に待ち伏せていた米機動部隊によって空母4隻を失う大敗北を喫する。

43(昭和18)年4月18日、南太平洋方面の前線視察中にブーゲンビル上空で暗号を分析して待機していた米・戦闘機(16機のロッキードP38)に搭乗機(ゼロ戦6機に護衛された一式陸攻)が撃墜され、戦死。
59歳の生涯であった。

軍医の遺体検死記録によると、「死因は戦闘機機銃弾がこめかみから下アゴを貫通した事によるもの」という結論が出され、ほぼ即死状態であったと推察されている。
しかし山本が搭乗していた一式陸上攻撃機を銃撃したP-38戦闘機の機銃の口径は12.7mmであり、検死記録の事実通りであれば頭半分は吹き飛ぶはずである。
こういった疑問点から山本の頭部を打ち抜いていたのは、拳銃などの小口径の銃弾であった可能性が否定できない。
山本の遺体を最初に発見した第6師団第23連隊の某小隊長の証言によれば、「山本長官の遺体は座席と共に放り出されていた。
そして軍医長が地を這って近寄ろうとして絶命した痕跡を残していた」という。
また、他の遺体が黒焦げで蛆虫による損傷が激しいにもかかわらず、この2名だけは蛆も少なく比較的綺麗な形で残っていた。

戦後に日本人として墜落現場を初めて訪れた阿川弘之は、著書『山本五十六』の中で、長官機が撃墜された後も山本五十六長官の遺体が綺麗だったことなどから、しばらく存命していたか、同乗していた軍医長が何がしかの処置をしたのではないか、と述べている。
地上から収容にあたった陸軍第17軍第6師団歩兵第23連隊の蜷川親博軍医中尉の検死調書には、遺体に銃創は無かったとの記述がみられる。
山本の墜落現場に向かった各部隊の長、同連隊の浜砂少尉・中村見習士官・海軍佐世保鎮守府第6特別陸戦隊吉田少尉も同様に、山本の顔面には弾丸による傷痕はなかったと証言。

蜷川軍医中尉の実弟である蜷川親正(医学博士)は、山本の遺体には顔面貫通機銃創及び背部盲貫機銃創はなく、座席に座って救助を待っていたが、全身打撲か内臓破裂により19日早朝に死亡したものとの見解を示している。

参考:『東京新聞』-「筆洗」その他


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