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のろ牛、鳥居強右衛門

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武田信玄が死去して、勝頼が跡を継ぎ、織田・徳川軍と激しく城の攻め合いをしていた頃、
鳥居強右衛門という足軽がいました。
鳥居といえば、関が原合戦の前哨戦に、鳥居元忠という武将が出てきますが、こちらは代々徳川家に仕えてきた名門で、関係はないようです。

彼はずんぐりした体型で動きも鈍く、戦場では大きな働きもなくのろ牛とも呼ばれていたようです。
しかし、臆病ながらまじめで生一本で、人を裏切ることが出来ない性格でした。
そのため、周囲からはからかわれることはあっても嫌われることはなく、可愛がられていました。
からかいの裏には、普通、愛情があるのが常なんですが、これをいじめと感じて落ち込んでしまう人も現代では多くなっていますが。
人の心の奥にあるものを読み取る力が弱まってしまったのでしょうか?

鳥居強右衛門は、この時代領主が代わるたびに当然、その所属する部隊も代わっていましたが、最後には徳川家康の配下の奥平貞昌の家臣となっていました。
奥平貞昌は若くして徳川家康の信頼を得、前線の要所である長篠城の守備を任されました。
この城は断崖絶壁の上にあり、足下は寒狭川と大野川が合流し豊川の急流となった辺りです。

武田勝頼は1万5千の軍勢を率いて、長篠城攻略に甲州から出て来ました。
これを守る奥平信昌が抱える兵は5百人で、当然のことながら籠城して時間を稼ぎ、外からの援軍を待つしかありません。
ところが期待の徳川軍は単独では助けに来る力はこのときはまだなく、織田軍の到着を待っていたため時間がかかり、その間に城兵は疲弊し、不安と焦燥で家臣たちの団結にも乱れが出始め、落城寸前に追い込まれてしまいました。
その家臣たちの心を静めるために奥平貞昌は、誰かが城から抜け出して援軍の様子を確かめて欲しいと言い出しましたが、この厳しい囲みと天然の要塞から抜け出して行ける者があろうとは思われませんでした。

そこに恐る恐る手を上げたのが鳥居強右衛門だったのでした。
みんなが驚き見る中、奥平貞昌は藁をも掴む思いで涙ぐみながらも「頼む。その代わり、褒美は望むままに与えようから、遠慮なく申してみよ」と言いました。
鳥居強右衛門は、「とても生きて戻る望みはもてないから、せめて後に残される妻や子らのことをお頼みしたい」と申し出ました。
もちろん、一も二もなくこの願いは受け容れられたわけです。

鳥居強右衛門は、便坪から降り直接豊川の流れに身を沈めて、川を泳ぎ野や山を駆け、まっしぐらに岡崎城に向かいました。
このときは彼の体力、持久力が役に立ったようです。
そして艱難辛苦の末に岡崎城に辿り着いてみると、そこには三万という大軍を引き連れた織田信長が到着していました。
この時信長は強右衛門に面会して感動しながらも、「もうおまえの役目は充分果たしたのだから、ここに留まってゆっくり休め」と言われたにもかかわらず、この喜びをなんとしても早くわが殿にも伝えたくて、先行して長篠城に駆け戻ったものである。
ところが城へ戻る途中、彼は武田軍に捕まってしまいました。
そこで、勝頼から「援軍は来ない」と云えば助けると云われ、一時は頷きながらも、川の前に引き出され、仲間の城兵や殿の顔を彼方に見るや、一瞬で気持ちが変わり、ほとばしるように、強右衛門は「援軍はまもなく来ますぞ。早まらないでくだされ。」と言ってしまったのです。

彼は怒った武田兵に、味方が見ている前で磔の刑に処され、壮絶な最期を遂げました。
そのとき彼の脳裏に閃光のように一瞬映し出されたのは、妻や子の顔と、楽しかった日々の生活の断片だったのでしょうか?
強右衛門の子孫は1500石の上級武士となって徳川家へ仕えたということです。


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